続きを読む中で、巨大な布で目隠しされていたり、行けるところも少なかったです。あと水がなかったことにがっかりしました。てっきり常に水が張ってあるのかと思ってました。  ・ギョレメパノラマを巡るコースは、スタート地点からギョレメパノラマの展望台まで徒歩1時間だが、最後に急登の崖があり若干危険な個所がある。 カッパドキアに行ったら外せない場所だと思います、 素晴らしいドームとその内装、ステンドグラス、そして厳かな雰囲気全てがです。 ・ジャーミーは6本のミナーレ(スペインではミナレット)と直径27.5m、高さ43mの大ドーム、4つの副ドーム、30もの小ドームからなっています。 そこから、寛ぎながらボスポラス海峡を眺めるのも良いですよ、 団体旅行に不慣れなので、みんなのテンポについていけず。 ギョレメ・パノラマの展望台からの眺め;白い奇岩が眼下に広がる光景は絶景で、此処はツアーであれ個人旅行者であれ、必ず立ち寄るべきポイントであることには間違いない。 そこは、どんなに駆け足ツアーでも必ず立ち寄るとても有名...  そして此処ギョレメ・パノラマの楽しみ方には、展望台の上から眺める方法だけではなく、ハイキングで愉しむという方法もある。 で、下の公園の池の青がキレイ、と(笑) その神話を表現したものですが、貯水池、即ちポセイドンの管轄地に彼女の首を設置した意図、1800年前の設計者にうかがいたいものです。 ギョレメの町やローズバレーの位置を確認することができます。また、カッパドキアの地形を形成した(噴火による)ハサン山という活火山も見ることができます。, な観光スポットだ。 続きを読むトルコには年に何日か祭日があり、日本のG.W.の期間中にもその祭日があります。 映画の公開前の今だからこそ、自分だったらこんな映像に組み合わせるかも…と考えるのも楽しそう♪ いずれにせよ超人気スポットですから朝早めに行くことをおススメします!, には、キノコ岩が林立されています。 閉じる, ミュージアムカードが使えなくて、別料金で入りました。それなのに、内部は大々的に工事...  奥に行くと、確かにあります。 大ドームは直径31mでロードス島軽量レンガを使用しています。 一番奥にはメドゥーサの顔が2体横たわっているそうです。 この橋は歩いて新市街へと行くことができます。 新市街地側の明るく健康的なガラタ塔の雰囲気も良いが、少しダークなレトロ感あふれるガラタ塔を見ることができるのは海の上からだ。 クルーズ船がガラタ橋よりも金角湾寄りの船着き場から出向する船の場合には、退廃的なムード漂うガラタ塔の景色を見ることができる。 さらに上階に行くため薄暗いトンネルのような斜面を歩きます。 それをイスラム教のモスクに改装したわけですが、これはまさしくスペインのコルドバにあるメスキータの真逆です。 地中海に点在する古代ローマ遺跡の中でも随一の美しさを誇る古代都市エフェソス。その周辺には「世界の七不思議」に選出されたアルテミス神殿跡や、パワースポットで知られる聖母マリアの家、使徒ヨハネ最期の地・聖ヨハネ教会など数多くの見所が点在する。 続きを読むる我々も少々並びました。 ギョレメ野外博物館は、正規のガイド(国の認定ガイド)は入場できないので、詳しく壁画を見たい方はオーディオガイドを借りる方が良いかもしれない。 閉じる. (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。, 地歴の専門家です。全47都道府県を制覇し、現在はすべての国の歴史を研究しています。, 「イスタンブールとアンカラ。トルコの中心都市はどっち?」https://satoru-world.net/2020/03/21/capital-12/ に掲載。 ヨーロッパを襲うトルコ軍のマーチが、巡り巡って名曲を生み出した! #トルコ #歴史イラスト #世界史 #歴史 #geographistory #ベートーヴェン #モーツァルト #トルコ行進曲 #軍隊 #歴史好きな人と繋がりたい #イェニチェリ #オスマン帝国 #mozart #beethoven #turkey #音楽史, 柴垣智(@shibagakkey)がシェアした投稿 - 2020年 3月月28日午前1時26分PDT. 私もカッパドキア入りするまではこのハイキングについては全く情報を持っておらず、現地で急遽アクティビティとして取り入れ歩いてきたのだが、歩きながら目に入ってくるその景色は、ギョレメパノラマの展望台から眺めていた時に想像していた光景よりも更に変化に富み、歩いていて楽しい場所だった。(所要時間3時間ほど) あと、新約聖書の概要も知っておく方が、フレスコ画をより深く理解できる。 740円/日~. 古代ローマ時代に、この周辺キリスト教徒が岩を掘って住みはじめたとされていて、 で、まともに溜まってるのは2、3個で、冷たい・・・ 【ギョレメ・ハイキング情報】 特筆すべきは見学無料! 1616年に完成しましたが20000枚のタイルが見事です。 ベツレヘムでのキリストの誕生を祝う様子や聖人等を描いたギリシア正教のフレスコ画が今も色鮮やかに残っている。 東西の文化を一望できるボスフォラス海峡クルーズ。クルーズの後には、ノスタルジックトラムやトゥネルに乗ってイスタンブールの都会を堪能できるお得なツアーは、午後出発... 真っ白な石灰棚は雪景色のように美しいです。毎年温泉の湧水量は減少しているそうです。...  このアヤソフィア博物館はビザンツ建築の最高傑作で、西暦300年代にコンスタンティヌス1世、2世指示で建設されたギリシャ正教の大本山でした。   続きを読む温泉が枯れてしまう前に足湯を楽しみましょう。石灰棚は濡れていると滑りやすいので注意が必要です。足湯を楽しむためには濡れた足を拭くタオルが必要です。  ・ハイキングコースは2コースあり、1つ目はギョレメからウチヒサール、鳩の谷へと抜けるコースで、2つ目はギョレメ・パノラマを巡るコース。   トルコの世界遺産カッパドキアで、過去最大とみられる地下都市が見つかった。場所はこの地方の中心都市ネブシェヒルの市街地。丘に建つ城の地下に、入り組んだトンネルと部屋が発見された。発掘調査されたのはまだ一部だが、その規模と構造はこれまで最大とされてきたデリンクユの地下都市を上回るとみられる。 橋の下は飲食店が軒を連ね、どこも安くて美味しいようです。  ミュージアムパスを持ってい...  ステンドグラスが陽光を取り入れ華麗な雰囲気を一層盛り立てています。 大ドームは直径31mでロードス島軽量レンガを使用しています。 クルーズ船が出航するのはエミノニュ港の近郊付近。 トルコ最大の都市である 「イスタンブール(İstanbul)」は、かつてローマ帝国やビザンチン帝国、 オスマン帝国の首都として発展したことでも有名 です。 イスタンブールは北西部にある都市であり、人口も国内で最高を誇っています。 (別料金です), 中で、巨大な布で目隠しされていたり、行けるところも少なかったです。あと水がなかったことにがっかりしました。てっきり常に水が張ってあるのかと思ってました。, も、もしかしたらガラタ塔はその塔からの眺望よりも、塔のある地域の遠景が一番お勧めかもしれない。 続きを読む、 その後スルタン・メフメット2世によりジャーミーに改築されました。 修復中ですが壮麗なドームはさすがです。 カフェはフードコートの様な形式ですが、トイレもあります。, 、 閉じる, ※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性もあります。, フォートラベルはみんなで作る旅行ガイドです。 アジア大陸とヨーロッパ大陸を分かつボスポラス海峡を、このツアーだけの専用ボートで渡りながら、豪華な装飾のドルマバフチェ宮殿をはじめとする、さまざまな宮殿や寺院、... ツアーに付いていた昼間のクルーズ船に乗りました、 中の方にも歩道が出来ているので、キノコ岩のあいだをのんびりと一回りする事が出来ます。 素晴らしいドームとその内装、ステンドグラス、そして厳かな雰囲気全てがです。 この時間帯になると、1泊2日のツアー客は薔薇の谷へ夕陽を見に行き始めるので、博物館はそんなに混まずに、暗闇の教会も並ばずに見学できる。 ツアーのチャーター船でしたが、中でチャイも売っていました。, 造られたそうですから170年以上の歴史を誇ります。 ギョレメ野外博物館は、正規のガイド(国の認定ガイド)は入場できないので、詳しく壁画を見たい方はオーディオガイドを借りる方が良いかもしれない。 見所は、教会内部のフレスコ画。 閉じる. イスタンブールを旅する時、ダン・ブラウンの【インフェルノ】を読んでから行けば、映画に使われそうな景色や背景を街の中から見つけ出す楽しみもありそうだ。 その事情とは、最近に起きた気球の事故、ヒトの落下事故です。 オレンジ色の光で満たされた地下宮殿でも撮影が行われていて、地下宮殿のシーンでは、地下宮殿の主でもある【彼女】が現れるという話だ。 イスタンブールを旅する時、ダン・ブラウンの【インフェルノ】を読んでから行けば、映画に使われそうな景色や背景を街の中から見つけ出す楽しみもありそうだ。 それをイスラム教のモスクに改装したわけですが、これはまさしくスペインのコルドバにあるメスキータの真逆です。 して内部は期待に応える迫力です。 ・どちらのコースも様々な奇岩を見ながら歩くコースで、歩いていて飽きがこない。 西アジアとヨーロッパにまたがる国、トルコ。両地域が揺れ動いている昨今、年々存在感が増しているようにも見えます。 このトルコの首都は、現在アンカラという街です。しかし知名度でアンカラを上回っている(と思われる)のが、北西部の都市イスタンブールです。トルコ最大の人口を誇るこの都市は、紀元前の大昔から、非常に重要な役割を持っ 続きを読むも、もしかしたらガラタ塔はその塔からの眺望よりも、塔のある地域の遠景が一番お勧めかもしれない。 私達も5/3の朝に気球乗りを予定していましたが、現地旅行会社から、ある事情により気球に乗る日を1日遅らせて欲しい…との連絡をうけ、翌日へと延期しました。 続きを読む・ジャーミーは6本のミナーレ(スペインではミナレット)と直径27.5m、高さ43mの大ドーム、4つの副ドーム、30もの小ドームからなっています。 閉じる, トルコ旅行ではここかトプカプ宮殿かというほど、私にとってはメインだった場所です。 ...  続きを読む最終日に乗りましたが、お天気もよく、風もないので、2月ですが、殆ど外に出ていましたが、寒くはありませんでした、 都市中心部にはバザール(トルコ語でチャルシュÇarşı)と呼ばれる商業エリアが広がっています。 通りの両側に店舗が並ぶ商店街タイプのものやイスタンブルのグランドバザールやエジプト市場のような屋根付き市場もあります。 上から眺めるアヤソフィアも迫力満点です。 ロバート・ラングドン教授になった気分で歩くイスタンブール。 パムッカレとは、トルコ語で「綿の城」を意味します。良質の温泉に治療効果を求め、建設された都市「ヒエラポリス」を訪問。温泉の石灰分が生み出した真っ白な世界「石灰棚... 何処の国の人も大きな岩があると何かの形を連想すような名前を付けることが 映画の公開前の今だからこそ、自分だったらこんな映像に組み合わせるかも…と考えるのも楽しそう♪ その後スルタン・メフメット2世によりジャーミーに改築されました。 トルコで人気の観光スポットをランキング形式でご紹介!【現地ツアー・予約・クーポン有】の施設・スポット情報掲載!トルコの観光スポットに関する情報は日本最大級の旅行クチコミサイト フォートラベルでチェック! お湯は週1回しか流してないらしいとのことです。 アヤソフィアよりもはるかに新しいようです。 そこから、寛ぎながらボスポラス海峡を眺めるのも良いですよ、 見所は、教会内部のフレスコ画。 それにしても東ローマ帝国の政治力、経済力に驚きます。 現地の観光案内所でも情報が入手できるという事だが、これからカッパドキア旅を計画される方に事前情報として、その概略を参考として記しておく。 トルコ最安 結局、水路の湯が一番だったというオチ 金角湾にかかる橋で初代は1845年に...  続きを読むな貯水池です。 風景が広がっています...  カッパドキアに行ったら外せない場所だと思います、 閉じる, ウチヒサルという町にある城塞。入場料は8リラ。360度、カッパドキアの絶景を一望することができ...  橋の下は飲食店が軒を連ね、どこも安くて美味しいようです。, ケルスス図書館で自由時間を少しいただきましたが、後は、通りがてらの説明でさらっと見学。 パンフ等で見るのとは大違いでした。  これから、トルコ旅でバルーン・ライドを計画される方へ。 ギョレメの村周辺...  私は登っていませんが、ラクダ岩には近くまで登っている人もいました、 そのお話を知っているのと知らないのでは、壁画の見方も変わってくる。 続きを読むっています。トルコは地中海の近くなので、温暖な地域という勝手なイメージを持っていましたが、ガイドさんの話では、パムッカレは標高も高く、真冬には氷点下近くに気温が下がるとの事でした。観光バスでパムッカレに到着し、ヒエラポリス遺跡を見た後、石灰棚にも行きました。石灰棚に立入る前に手前のベンチで靴をビニール袋に入れて素足で岩の上を歩きますが、「しぇ~っ!」と震え上がるほど石灰棚の岩が冷たいのです。我慢して温泉(足湯)で暖まろうと温泉の流れている場所に行って足湯に浸かろうとしたら、そばで足湯に浸かっていた日本人女性から「そこは先程、韓国の観光客が滑って転倒していたから注意してね」と言われました。恐る恐る足を溝の中に入れてみると、確かに溝底の岩がぬるぬるして滑りやすい状態でした。溝の中は暖かい温泉が流れているので、うっすらと緑色の苔も生えています。その女性の忠告のお陰で、足湯の溝から出る時は体をずらして溝の外に足を置いてから立ち上がりましたが、もし、溝の底に体重をかけて立ち上がっていたら、私もツルッと滑ってずぶ濡れになっていた事でしょう。あの冷え込む真冬の屋外でずぶ濡れになったら、観光バスに戻る前に体が冷え切って風邪をひいていた事でしょう。真冬にパムッカレの石灰棚に行かれる方は、足湯を浸かる時に底が滑らない場所か良く確認してから入って下さいね。 ただし礼拝時間によっては見学できませんから事前に調査が必須です。, る我々も少々並びました。 続きを読むな観光スポットだ。 ・道の途中にはカフェもあり、休憩をしがてらのんびりと歩くことができる。  多いですが、カッパド...  ローマ帝国の迫害を逃れてこの地に辿り着いた初期キリスト教徒たちが隠れ住み掘ったとか、最近新たに最大の地下都市が見つかってニュースになりました。謎だらけです。, 宮殿奥にカフェが有るので、 それにしても巨大な貯水池。 日本では大化の改新のずっと前ですからーー。 幸いにも高度が低く、大怪我にはならなかったそうですが…。 ただし礼拝時間によっては見学できませんから事前に調査が必須です。  閉じる, カッパドキアには見所が沢山有りますが、ここはいかにもカッパドキアと言う 予定の日は風が強く、船が出せないとのことで...  あと、新約聖書の概要も知っておく方が、フレスコ画をより深く理解できる。 この地下宮殿ではミュージアムパスは使えませんのでご注意ください。 エフェソス/トルコ. ・両方のコースともスタート地点はギョレメ・カヤ・ホテルの奥にある二股に分かれる道。 ュÇarşı)と呼ばれる商業エリアが広がっています。通りの両側に店舗が並ぶ商店街タイプのものやイスタンブルのグランドバザールやエジプト市場のような屋根付き市場もあります。, 週に1,2回開催される定期市(トルコ語でパザルPazar)は通りや広場にテントが張られ、野菜、乾物、乳製品、衣類、靴、日用雑貨といった生活必需品が所狭し、と並びます。季節の移り変わりや日常生活を垣間みることのできる空間です。, 紹介する都市は下の地図とリストにありますので、クリックしてみてください。現地の方々の協力を得て調査した都市や市場の内容を写真とともに紹介します。, アフヨンカラヒサール AFYONKARAHÄ°SAR. その後ローマ、東ローマの支配の下、キリスト教都市として発展するが、11世紀にイスラム系セルジューク朝に征服され、12世紀、セルジューク朝から分裂したトルコ系ルーム・セルジューク朝の首都となった。1 閉じる. こちらは土足厳禁で靴を脱いで見学します。 中の方にも歩道が出来ているので、キノコ岩のあいだをのんびりと一回りする事が出来ます。, まっている。 5/1~5/3のバルーン・ライドは、海外からのゲスト、国内旅行のトルコ人のゲストで毎日、満員御礼の大混雑で、大変な賑わいだったそうです。 ・ウチヒサール−ギョレメ・コースは徒歩2時間。 あちらはイスラム教のモスクをカトリック教会に改装してしまったわけですーー。 ステンドグラスが陽光を取り入れ華麗な雰囲気を一層盛り立てています。 そして、トルコの人達も気球乗りは大好き。 そのお話を知っているのと知らないのでは、壁画の見方も変わってくる。 で、まともに溜まってるのは2、3個で、冷たい・・・ それにしても東ローマ帝国の政治力、経済力に驚きます。 ぜひ、じっくりと眺めてきてほしい。 5/1~5/3のバルーン・ライドは、海外からのゲスト、国内旅行のトルコ人のゲストで毎日、満員御礼の大混雑で、大変な賑わいだったそうです。 ・ウチヒサール−ギョレメ・コースは徒歩2時間。 世界には、息をのむほど鮮やかな街並みや、色とりどりのカラフルな建物がたくさんあります。フ... 「とにかく海外に行きたい!」「休みが取れそうだけど、どうしよう?」そんな時は、みんながお... アジアとヨーロッパの間に位置し、古くから人々や文化の交差点として繁栄してきたトルコには、... エリアに隠された宝箱を見つけてフォートラベルポイントをゲット!チャンスは一日一回。お題はトップページで発表されます。, 掲載のクチコミ情報・旅行記・写真など、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます。. 閉じる, もう少し時間をかけて、ゆっくり見学したかったです。 映画公開の2016年秋までの期間限定のイスタンブールの楽しみ方の一つだと思う。 トルコの世界遺産カッパドキアで、過去最大とみられる地下都市が見つかった。場所はこの地方の中心都市ネブシェヒルの市街地。丘に建つ城の地下に、入り組んだトンネルと部屋が発見された。発掘調査されたのはまだ一部だが、その規模と構造はこれまで最大とされてきたデリンクユの地下都市を上回るとみられる。, カッパドキアはトルコ中央部に位置し、妖精の煙突と呼ばれる奇岩や洞窟の教会、さらには数多くの地下都市で知られている。火山灰が堆積してできた柔らかい岩石や凝灰岩を削り出してつくった地下都市は250 余りあり、侵入者から逃れるための隠れ場所だったとされる。, 発見のきっかけは、市の住宅建設プロジェクトだった。2013年、ネブシェヒルの城を取り囲むように建っていた低所得者向け住宅を解体していた作業員たちが、地下への入り口を発見。その先にはトンネルと部屋が網の目のようにつながっていた。, 市は建設プロジェクトを中止すると、考古学者や地球物理学者による調査を開始。2014年に居住空間や調理場、ワイン醸造所、礼拝堂、階段などから成る多層構造の地下都市を発見した。石臼や石の十字架、陶磁器といった遺物からは、ビザンチン期からオスマン帝国の支配下に置かれるまで、ここが実際に使用されていたことがうかがえる。, この地下都市は、デリンクユと同様に通気口や水路といったインフラを備えた巨大居住空間だった。カッパドキアの人々は危険が迫ると家畜を連れ、生活必需品を持ってこの地下都市に逃げ込み、丸い石の扉で入り口をふさぐと、脅威が去るまで籠城したようだ。, ネブシェヒル大学の地球物理学者たちは、物理探査(比抵抗法や地震波トモグラフィー)を用いておよそ4平方キロにおよぶ地中の様子を体系的に調査した。33の測定結果から、地下都市の規模は46万平方メートル近いとする予測が出された。地下通路の深さは推定値で最大113メートル。これが正しければ、都市の規模はデリンクユより30%ほど大きいことになる。, 調査の責任者を務める考古学者ムラト・ギュリャズ氏は、正確な規模はまだわからないとしながらも、「都市の場所や防御体制、水路の存在を考えると、相当な規模であった可能性は高いでしょう」と語る。, 「この発見は、カッパドキアに大きな利益をもたらす、貴重な財産となるでしょう」と、ネブシェヒルのハサン・ユンバー市長は喜ぶ。市長は、集合住宅の建設を郊外に変更し、この地にデザイナーズホテルやアートギャラリー、地下に遊歩道や博物館を擁する「世界最大の古代都市テーマパーク」を造る方針だ。「地下都市の教会を復元しようとも考えています。みな、興奮を抑えきれません」, ギュリャズ氏のチームは、引き続きトンネル内のがれきを取り除きながら、地下深くへと調査を進める。凝灰岩は柔らかく崩れやすいため、作業には危険が伴うが、ギュリャズ氏の期待は膨らむ。「ネブシェヒル城の下に広がる地下都市の全貌があらわになれば、きっと観光客がここに押し寄せるでしょう」, Q:おたふく風邪のワクチン認可は史上最速といわれていますが、その期間は次のうちどれでしょう。, ビザンチン期の要塞の地下に不規則に広がるトンネルや部屋が発見され、考古学者たちが調査を進めている。トルコ・ネブシェヒルで撮影。(PHOTOGRAPH BY MURAT KAYA, ANADOLU AGENCY/GETTY), トルコのカッパドキアは凝灰岩を削り出してつくった地下都市で有名。凝灰岩は火山灰が堆積してできた多孔質の軽い岩石だ。(PHOTOGRAPH BY MURAT KAYA, ANADOLU AGENCY/GETTY). 映画のメインの撮影はイタリアなのだが、クライマックスの舞台はイスタンブールのアヤソフィアと地下神殿をメインとするイスタンブール歴史地区。 見所のお勧めは、聖オノフリウスの壁画。 スルタンアフメット...  1926(大正15)年創立。名誉総裁に三笠宮殿下、総裁に彬子女王殿下を戴く。日本とトルコの友好親善強化のため、会報誌の発行、トルコ語講座、トルコの夕べ(講演会と懇親会)、トルコ料理教室等を実施。トルコ料理レシピも公開中。 閉じる, イスタンブールの橋で有名なのは有名なガラタ橋です。 ・道の途中にはカフェもあり、休憩をしがてらのんびりと歩くことができる。. いずれにせよ超人気スポットですから朝早めに行くことをおススメします!    この時間帯になると、1泊2日のツアー客は薔薇の谷へ夕陽を見に行き始めるので、博物館はそんなに混まずに、暗闇の教会も並ばずに見学できる。 大きさは、縦横高さは140m、70m、8mと言う巨大なものです。 (決して、オノフリウスが男性ホルモン過多で男化したわけではないので注意!) トルコの方々は興奮すると、とっても熱くなる方が多く、気球の中でもソレは同じで、ついつい興奮しすぎてしまったらしいのです。それで、運悪く気球の籠のバランスが崩れて、人が落ちてしまった…とのことです。 ...  迫力の奇岩群が広がる世界遺産カッパドキアを1日中満喫しましょう!こちらのレッドツアーでは、ギョレメ野外博物館やデブレントの谷、アヴァノス、ウチヒサール城などを訪... これからトルコを訪れ、バルーン・ライドを計画する方に知っておいて欲しい情報があります。 おすすめの観光スポット、レストラン、ホテル、交通機関があればぜひ教えてください。, フォートラベル GLOBAL WiFiなら ぜひ、じっくりと眺めてきてほしい。, トルコには年に何日か祭日があり、日本のG.W.の期間中にもその祭日があります。 (決して、オノフリウスが男性ホルモン過多で男化したわけではないので注意!) 追いかけて、追いかけて、説明が終わってから到着するので何のことやらさっぱり分からず、ドンドン先へ。 お湯は週1回しか流してないらしいとのことです。 ベツレヘムでのキリストの誕生を祝う様子や聖人等を描いたギリシア正教のフレスコ画が今も色鮮やかに残っている。   閉じる, 人一人が通れる狭い通路、屈まなければ通れない低い通路、迷路のような通路、大小の区分けされた貯蔵...  ここからは旧市街ももちろん見渡せます。 閉じる, 2015年の7月から、2016年の秋に公開される映画【インフェルノ】の撮影がイスタンブールで始...  白い三角錐型の奇岩、不思議なキノコ型の奇岩がニョキニョキと生えるその風景は、まるで太陽系外の惑星に漂着し、その地を探検しているかのような気分になれる場所で、白い奇岩の陰から地球外生命体が顔を覗かせていたとしても、違和感を感じさせないような風景を見ることが出来る場所だった。映画Star Warsを見たことのある方ならば、思わずその場面を思い出してしまいそうな光景が目の前には広がっていた。 イェニ・ジャーミーが威容を誇りますーー。 世界を学ぼう”知理・歴視” カッパドキアで必ず乗りたい熱気球、神秘の光景を天空散歩で!空から眺める世界遺産カッパドキアは、異世界に来たかと錯覚をするほどの景観。早朝のキリリと澄んだ空気の中... 有名な地下宮殿ですがこれは本当は宮殿ではなく、4世紀から6世紀にかけて造られた巨大...  絶品シーフード料理と美しい夜景を背に過ごす贅沢なトルコの夜。ガラタ橋近くのレストランでシーフード・ディナーをお楽しみいただけます。その後は路面電車で、ガイド一押... ヤソフィアはここはチケットを購入する方の長蛇の列が待っています。 1616年に完成しましたが20000枚のタイルが見事です。 これから、トルコ旅でバルーン・ライドを計画される方へ。 エフェス遺跡は、古代の人々の暮らしを想像しながら鑑賞していくと、興味深い遺跡です。, だ、ここは団体ツアーにも必ず組み込まれる場所なのでいつ行っても混んでいるが、お勧めの時間帯は夕方4時以降。 しかし、がっかりな結果に・・・ 続きを読むだ、ここは団体ツアーにも必ず組み込まれる場所なのでいつ行っても混んでいるが、お勧めの時間帯は夕方4時以降。 白い三角錐型の奇岩、不思議なキノコ型の奇岩がニョキニョキと生えるその風景は、まるで太陽系外の惑星に漂着し、その地を探検しているかのような気分になれる場所で、白い奇岩の陰から地球外生命体が顔を覗かせていたとしても、違和感を感じさせないような風景を見ることが出来る場所だった。映画Star Warsを見たことのある方ならば、思わずその場面を思い出してしまいそうな光景が目の前には広がっていた。   ガラタ塔のある風景を眺めることのできる場所としてはエミノニュ港、ガラタ橋の上があげられるが、私が旅の中で好きだったガラタ塔の光景はボスポラス海峡のクルーズ船の上からの景色。 怪我のない安全な旅のためにも、トルコの祭日と土日の組み合わせに気を配って下さいね。, 庫に使ったであろう小部屋、地下8層まで届く40mに及ぶ空気口、教会から学校までと何でもあったらしい。紀元前から存在し、ヒッタイト時代に掘ったとか、 た...  団体旅行に不慣れなので、みんなのテンポについていけず。 ・両方のコースともスタート地点はギョレメ・カヤ・ホテルの奥にある二股に分かれる道。 そんな理由で手配会社の社長さんが混雑時期に私たちが気球に乗ることを心配されて、気球の乗るのは予定よりも1日遅らせる日程となりました。 クルーズ船が出航するのはエミノニュ港の近郊付近。 写真を撮っているうちに、ガイドさんは遠くへ移動。 周りは砂地なので登りにくいとは思いますが。  特筆すべきは見学無料! 怪我のない安全な旅のためにも、トルコの祭日と土日の組み合わせに気を配って下さいね。 見所のお勧めは、聖オノフリウスの壁画。 続きを読むまっている。 アヤソフィアよりもはるかに新しいようです。 その神話を表現したものですが、貯水池、即ちポセイドンの管轄地に彼女の首を設置した意図、1800年前の設計者にうかがいたいものです。 で...  ロバート・ラングドン教授になった気分で歩くイスタンブール。 1931年にアメリカ調査隊により塗りこめられたモザイク画が発見され、初代大統領アタチュルクはここを博物館として公開しました。 ローマ帝国の迫害を逃れてこの地に辿り着いた初期キリスト教徒たちが隠れ住み掘ったとか、最近新たに最大の地下都市が見つかってニュースになりました。謎だらけです。  一番奥にはメドゥーサの顔が2体横たわっているそうです。 トルコの公共交通機関、トラム(路面電車)やトゥネル(世界一短い地下鉄)を使って移動するこのツアー。ツアーでありながらも、現地の雰囲気を楽しみたい方にオススメです... ガラタ塔は登って、その塔の上からの眺望を楽しむ場所…というのが、ガイドブックの紹介事例。 ツアーのチャーター船でしたが、中でチャイも売っていました。  イェニ・ジャーミーが威容を誇りますーー。 追いかけて、追いかけて、説明が終わってから到着するので何のことやらさっぱり分からず、ドンドン先へ。 元々は28本掛ける12列、336本の柱で支えられていましたが、現在は90本は失われているそうです。 閉じる, 2015年1月中旬に、トルコ観光旅行に行ってきました。世界遺産のパムッカレ観光もコースの中に入...  個人的な感想になってしまうが、ギョレメパノラマの展望台から眺めるよりもハイキングで歩いたほうが、景色としては面白いし、お勧めだ。 立派な絨毯(一体いくら!)が敷き詰められています。 トルコは日本ほど交通システムが整っているわけではないので、国内移動については外国人観光客にとってなかなか難しいのが現状です。都市間を長距離に移動する場合の方法やオプション、そして都市内部で移動したい時の方法などをご紹介します。 続きを読む造られたそうですから170年以上の歴史を誇ります。 この地下宮殿ではミュージアムパスは使えませんのでご注意ください。 写真を撮っているうちに、ガイドさんは遠くへ移動。 続きを読むて、旅の始まりにぴったりです。 ・どちらのコースも様々な奇岩を見ながら歩くコースで、歩いていて飽きがこない。 地球の歩き方がトルコの都市をご紹介いたします。トルコへの格安航空券、最安値ツアー、ホテル予約、最新ガイドブック情報など、トルコの旅行・観光情報が満載。トルコ旅行に関する情報を調べる際にぜひご活用ください。 今年は、その祭日と土日の日の並びが良く、トルコでは5/1・5/2・5/3の三連休でとなり、奇岩群のあるカッパドキアには、トルコ国内からも多くのトルコ人観光客が観光にいらしていました。 閉じる. 大きさは、縦横高さは140m、70m、8mと言う巨大なものです。 閉じる, カッパドキアにあるギョレメ・パノラマ。 新市街地側の明るく健康的なガラタ塔の雰囲気も良いが、少しダークなレトロ感あふれるガラタ塔を見ることができるのは海の上からだ。, 温泉が枯れてしまう前に足湯を楽しみましょう。石灰棚は濡れていると滑りやすいので注意が必要です。足湯を楽しむためには濡れた足を拭くタオルが必要です。, しかし、がっかりな結果に・・・ ひとつは横向き、もうひとつは逆さまに置かれています。   ここをモスクではなく博物館として、広く世界各国の方々に見てもらうという発想は近代トルコの父、アタチュルクならではの柔軟さではないでしょうか。 結局、水路の湯が一番だったというオチ ギョレメのアクティビティでは一押しでお勧めのギョレメ・パノラマのハイキングなのだが、そのハイキング情報は、日本のガイドブックには情報は載っていない。 元々は28本掛ける12列、336本の柱で支えられていましたが、現在は90本は失われているそうです。 トルコ南東部を流れるチグリス川のほとりにある古代都市ハサンケイフには、古代の人々の痕跡、古代メソポタミア、ローマ帝国、東ローマ帝国、テュルク系民族、オスマン帝国の文明が残り、新石器時代や12世紀にまで遡る建物が今も保存されている。 トプカプ宮殿、アヤソフィア、ブルーモスクなど、イスタンブールの主要観光スポットを1日で満喫できる人気ツアー!地元食堂でのランチ付き。おひとり様からでも催行保証の... 一口にカッパドキアと言っても、南北50kmにもおよぶ長さで奇岩や村が点在。 閉じる. ギョレメの町やローズバレーの位置を確認することができます。また、カッパドキアの地形を形成した(噴火による)ハサン山という活火山も見ることができます。 パンフ等で見るのとは大違いでした。, 最終日に乗りましたが、お天気もよく、風もないので、2月ですが、殆ど外に出ていましたが、寒くはありませんでした、 周りは砂地なので登りにくいとは思いますが。, て、旅の始まりにぴったりです。 ひとつは横向き、もうひとつは逆さまに置かれています。 メドゥーサはギリシア神話に登場する怪物で海の神であるポセイドンの愛人でしたがペルセウスによって首を切り落とされ、退治されたということです。 して内部は期待に応える迫力です。 外プリペイドカード, 運営会社と個人情報取扱について. 続きを読む 奇岩の中を掘った教会が多数残されています。  ・ハイキングコースは2コースあり、1つ目はギョレメからウチヒサール、鳩の谷へと抜けるコースで、2つ目はギョレメ・パノラマを巡るコース。 このアヤソフィア博物館はビザンツ建築の最高傑作で、西暦300年代にコンスタンティヌス1世、2世指示で建設されたギリシャ正教の大本山でした。 あちらはイスラム教のモスクをカトリック教会に改装してしまったわけですーー。 閉じる, ギョレメ野外博物館はギョレメの街に宿泊している旅人ならば、徒歩圏内で行ける岩窟修道院だ。 続きを読む宮殿奥にカフェが有るので、 映画のメインの撮影はイタリアなのだが、クライマックスの舞台はイスタンブールのアヤソフィアと地下神殿をメインとするイスタンブール歴史地区。 その事情とは、最近に起きた気球の事故、ヒトの落下事故です。 で、下の公園の池の青がキレイ、と(笑) 閉じる. トルコの方々は興奮すると、とっても熱くなる方が多く、気球の中でもソレは同じで、ついつい興奮しすぎてしまったらしいのです。それで、運悪く気球の籠のバランスが崩れて、人が落ちてしまった…とのことです。 クルーズ船がガラタ橋よりも金角湾寄りの船着き場から出向する船の場合には、退廃的なムード漂うガラタ塔の景色を見ることができる。 Copyright(c) forTravel, Inc. All rights reserved. 閉じる, 入口が非常に混んでいます、団体ツアーだったので、チケット売り場の混雑状況は分かりませんが、荷物と人のセキュリティチェックが有ります、 ここからは旧市街ももちろん見渡せます。 修復中ですが壮麗なドームはさすがです。 幸いにも高度が低く、大怪我にはならなかったそうですが…。 続きを読む庫に使ったであろう小部屋、地下8層まで届く40mに及ぶ空気口、教会から学校までと何でもあったらしい。紀元前から存在し、ヒッタイト時代に掘ったとか、 ルーモスクと呼ばれているスルタンアフメットジャーミーにやってきます。 オレンジ色の光で満たされた地下宮殿でも撮影が行われていて、地下宮殿のシーンでは、地下宮殿の主でもある【彼女】が現れるという話だ。 奥に行くと、確かにあります。 エフェス遺跡は、古代の人々の暮らしを想像しながら鑑賞していくと、興味深い遺跡です。 ガラタ塔のある風景を眺めることのできる場所としてはエミノニュ港、ガラタ橋の上があげられるが、私が旅の中で好きだったガラタ塔の光景はボスポラス海峡のクルーズ船の上からの景色。 この橋のたもとではサバサンドというサンドイッチで有名な地域ですが、トウモロコシや栗を焼いて売っているお店も多数あります。   古代ローマ時代に、この周辺キリスト教徒が岩を掘って住みはじめたとされていて、 立派な絨毯(一体いくら!)が敷き詰められています。 そして此処ギョレメ・パノラマの楽しみ方には、展望台の上から眺める方法だけではなく、ハイキングで愉しむという方法もある。 カフェはフードコートの様な形式ですが、トイレもあります。  Copyright© 私は登っていませんが、ラクダ岩には近くまで登っている人もいました、 団体旅行で、ガイドさんの説明付きで観光。...  私達も5/3の朝に気球乗りを予定していましたが、現地旅行会社から、ある事情により気球に乗る日を1日遅らせて欲しい…との連絡をうけ、翌日へと延期しました。 映画公開の2016年秋までの期間限定のイスタンブールの楽しみ方の一つだと思う。, っています。トルコは地中海の近くなので、温暖な地域という勝手なイメージを持っていましたが、ガイドさんの話では、パムッカレは標高も高く、真冬には氷点下近くに気温が下がるとの事でした。観光バスでパムッカレに到着し、ヒエラポリス遺跡を見た後、石灰棚にも行きました。石灰棚に立入る前に手前のベンチで靴をビニール袋に入れて素足で岩の上を歩きますが、「しぇ~っ!」と震え上がるほど石灰棚の岩が冷たいのです。我慢して温泉(足湯)で暖まろうと温泉の流れている場所に行って足湯に浸かろうとしたら、そばで足湯に浸かっていた日本人女性から「そこは先程、韓国の観光客が滑って転倒していたから注意してね」と言われました。恐る恐る足を溝の中に入れてみると、確かに溝底の岩がぬるぬるして滑りやすい状態でした。溝の中は暖かい温泉が流れているので、うっすらと緑色の苔も生えています。その女性の忠告のお陰で、足湯の溝から出る時は体をずらして溝の外に足を置いてから立ち上がりましたが、もし、溝の底に体重をかけて立ち上がっていたら、私もツルッと滑ってずぶ濡れになっていた事でしょう。あの冷え込む真冬の屋外でずぶ濡れになったら、観光バスに戻る前に体が冷え切って風邪をひいていた事でしょう。真冬にパムッカレの石灰棚に行かれる方は、足湯を浸かる時に底が滑らない場所か良く確認してから入って下さいね。, キアも然りで、ラクダ岩、ナポレオンハット等色々有りました、 トルコ共和国 Türkiye Cumhuriyeti (国旗) (国章) 国の標語:Yurtta Sulh, Cihanda Sulh (トルコ語: 国に平和、世界に平和) 国歌:İstiklal Marşı(トルコ語) 独立行進曲 公用語 トルコ語 首都 アンカラ 最大の都市 イスタンブール 政府 大統領 レジェップ・タイイップ・エルドアン 副大統領 フアット・オクタイ 面積 総計 783,562km (37位) 水面積率 1.3 % 人口 総計(2018年) 82,319,724 [1]人(18位) 人口密度 88人/km GDP(自国通貨表示) 合計(2018年) 3兆7,244億 トルコリラ GDP(MER) 合計(2018年… 阪急交通社スタッフがおすすめする、トルコ観光人気のスポットをご紹介!イスタンブールやカッパドキア、パムッカレなどの観光スポット、グルメやイベント、現地の気候や交通事情など気になる情報を詳しくガイドいたします。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}). 2020 All Rights Reserved. 続きを読むには、キノコ岩が林立されています。 この橋は歩いて新市街へと行くことができます。 男性の顔に女性らしい乳房を持つフレスコ画は、一見、異様に見えるが、なぜ彼女がこんな姿となり聖人となったのか。 それにしても巨大な貯水池。 日本では大化の改新のずっと前ですからーー。 迫力の奇岩群が広がる世界遺産カッパドキアを1日中満喫しましょう!こちらのイエローツアーでは、カイマクル地下都市やカウシュン村、チャタルカヤなどを訪れます。うれし... ツアーで行ったので、クルーズ船にも乗りましたが、 【ギョレメ・ハイキング情報】 トプカピ宮殿へ行って、時間があるようなら、...  西アジアとヨーロッパにまたがる国、トルコ。両地域が揺れ動いている昨今、年々存在感が増しているようにも見えます。, このトルコの首都は、現在アンカラという街です。しかし知名度でアンカラを上回っている(と思われる)のが、北西部の都市イスタンブールです。トルコ最大の人口を誇るこの都市は、紀元前の大昔から、非常に重要な役割を持っていました。, 今回はイスタンブールを中心に、トルコ(とその近辺)の壮大な歴史について語っていきたいと思います。(アンカラも少しだけ出てきます。), 人口は約8000万。日本より少ないですが、中東ではエジプト、イランに次いで、ヨーロッパで言えばロシア、ドイツに次ぐ規模です。, 国土の大部分を占める、黒海と地中海にはさまれた長方形っぽい半島はアナトリア(ギリシャ語で「日の出の地」)と呼ばれ、そのほぼ真ん中に首都アンカラがあります。2つの海はアナトリア北西部のボスポラス海峡によって繋がっていますが、この海峡の両端を挟むように広がっているのが、イスタンブールです。イスタンブールより西は、トルコの中でも「ヨーロッパに属する」と言われることがあります。, イスラム人口が多いため、豚肉ではなく、牛肉や羊肉が食べられます。シシケバブはその代表的な料理。またトルコ風アイスが有名なように、アイスクリームヨーグルトなど乳製品も食べられます。この辺はさすが地中海世界という感じですな。, 英語ではTurkey、すなわちターキーと呼びます。実はこれ、七面鳥と同じ綴り。これは七面鳥がアジアからヨーロッパに入ってきたとき、「トルコから来た鳥」と名付けられたから、らしい。同様な経緯で「トルコの石」と呼ばれたのが、宝石「ターコイズ」です。, さて、トルコの歴史を振り返ってみましょう。トルコはその南側に中東(シリアやエジプト)、西側にはギリシャが位置していることもあって、その歴史も紀元前の大昔からよく知られています。, アナトリア南部には紀元前1500年頃にヒッタイトとよばれる大国が栄えました。早くから鉄を用いていたこの国はメソポタミア文明でも強国だったとされ、またその滅亡をもって、世界に製鉄技術が広まったともいわれています。, 紀元前8世紀頃になると、古代ギリシャ人の都市国家ポリスが地中海沿岸に造られました。ポリスといえばアテネ、スパルタがよく知られていますが、ボスポラスにも同じようにビザンティオンという都市が建設されました。これがイスタンブールの”先祖”に当たります。, しかし、ヒッタイトにしろ、ビザンティオンにしろ、その住民はトルコ人ではありませんでした。, 当時彼らの祖先はどこに居たかというと、なんとアナトリアから遠く離れた、中央アジアの草原地帯!そこで遊牧を行いながら、時々都市文明に侵入して物資を奪う生活を行っていました。後の時代ですが、中央アジアをトルキスタンと呼ぶことがあります。これも「トルコ人の地」の意味です。, アテネなどギリシャ人のポリスは紀元前4世紀、隣のマケドニア王国に征服されました。そのマケドニア王国はアレクサンダー大王の時、遠くアジアにまで支配域を広げますが、その死後は分裂。この後ローマ帝国が進出し、マケドニア王国も紀元前2世紀に支配されます。一方のビザンティオンは長く独立を保ちましたが、紀元1~2世紀頃にローマの支配下となりました。, ローマが地中海を囲むようにその領域を広げたことで、この海を経由して人や物がこれまで以上に行き交うようになりました。ビザンティオンは、アジアとヨーロッパの中継地点かつ、地中海と黒海の中継地点という極めて重要な都市として注目されます。, 加えて3世紀になるとアジアの地にササン朝ペルシャという大国が出現し、ローマ帝国を脅かすように。帝国は、その東部に目を光らせる必要が出てきました。, そして4世紀、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世は、停滞しつつあったローマに代わり、東方のビザンティオンを帝国の新たな都としました。そして、その名をコンスタンティノープルとします。自分の名前をこの新都に贈ることで、皇帝の偉業を永遠に残すことにしたのでしょう。, この頃すでに内部分裂を起こしていたローマ帝国は、395年完全に東西分裂しますが、この時、西帝国の都をローマ、東帝国の都をコンスタンティノープルとしました。西ローマ帝国は5世紀に滅びますが、東ローマ帝国は実に15世紀まで生き長らえました。東ローマ帝国の別名ビザンツ帝国は、帝都の旧名ビザンティオンに由来しています。, 以後、西のカトリック世界や南のイスラム世界に対抗しながら、この帝国は独自のキリスト教宗派(東方正教)を国の軸として、ギリシャ世界やバルカン半島、ロシアにも直接的・間接的に影響を与えていきました。, 分裂から滅亡までの1千年あまりの間、東ローマ帝国の社会もまた変化していきます。分裂前、ローマ帝国の公用語がラテン語であったのに対し、コンスタンティノープルがギリシャに近かったことから、東ローマ帝国では次第にギリシャ語が公用語になっていきました。, アラビア半島でイスラム教が誕生したのが7世紀のことです。イスラム教徒の集団はメッカを出て、豊かな穀倉地帯であるエジプトやシリアを東ローマ帝国から奪い、西アジアに大帝国を築きました。, イスラムの教えはやがて中央アジアにも広まり、現地の遊牧民、すなわちトルコ人(テュルク人)にも広がっていきます。そして馬を自由に使いこなす彼らは、傭兵や奴隷兵として西アジアに活躍の場を見出していきました。, (上のイラストでは「テュルク人」となっていますが、ここではトルコ人と同じと考えてOK), そして11世紀にはトルコ人による王朝も成立。セルジューク朝です。そのトップはスルタンという地位に就き、西アジア一帯に進出。トルコ人の移住も進みます。その一つがアナトリアでした。1071年には、マンジケルト(現在のトルコ東部)という場所で、東ローマ帝国軍を打ち破り、この帝国領を侵食。この世紀の末に始まる十字軍遠征の要因の一つが、このマジケルトの戦いだったと言われています。, やがてアナトリアには、セルジューク家の分家が王朝を構えました。(東)ローマ帝国に居を構えたセルジューク家ということで、ルーム・セルジューク朝と呼ばれています。(「ルーム」とはローマが訛った言葉。「部屋」ではないっす!), この頃の東ローマ帝国は、カトリックの十字軍遠征に期待しながらも、そのカトリック系の国とは対立していました。特に地中海で影響力を持ち始めていたヴェネツィア共和国は、海の覇権を巡る強力なライバルとなっていきます。, 1204年、ヴェネツィアに率いられた十字軍は、本来の目的地エルサレムではなく、ライバル国の都、コンスタンティノープルに侵攻し、これを占領してしまいました。ラテン帝国と呼ばれています。東ローマ側はアナトリア側に亡命して命をつなぎ、1261年にコンスタンティノープルを奪還しますが、この混乱によりすっかり帝国の力は落ち込んでしまいました。, 一方のルーム・セルジューク朝は、本家のセルジューク朝が12世紀に滅んでも、アナトリアで栄えていました。しかし13世紀にモンゴル帝国の攻撃を受けると、さすがにこの王朝も衰退。アナトリアには地方政権が乱立する、日本の戦国時代のような状況になってしまいます。(だから弱体化した東ローマ帝国も生き長らえたのですが・・・), その中で頭角を現したのが、オスマン1世という人物。彼が1299年に開いたのがオスマン朝(後のオスマン帝国)です。彼とその子孫はアナトリア一帯のトルコ人をまとめあげ、更に東ローマ帝国から領土を次々と奪っていきました。, それだけでは飽き足らず、バルカン半島にも進出。1389年コソボの戦いでは、スルタン・バヤズィット1世の軍がセルビア王国(当時バルカン半島で最も有力だった国の一つ)軍を破るなど活躍を見せます。, しかしバヤズィットは1402年、モンゴル帝国再興の野望を持った中央アジアの英雄、ティムールに大敗し囚われの身に。一時オスマン朝は危機に陥りました。これをアンカラの戦いといいます。当時アンカラはアナトリアの一地方都市に過ぎず、よもや後年トルコの首都になるとは夢にも思われなかったことでしょう。, ティムールが3年後に死去したこともあって、オスマン朝は素早く再建し、侵略も再開。メフメト2世統治下の1453年には、ついに東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを陥落させ、この千年帝国を滅ぼしました。, アナトリアからバルカン半島にかけて広い領地を支配するようになったオスマン朝(以後、帝国と呼ぶことにします)は、旧東ローマの都コンスタンティノープルを新たな都に定めました。, この大国は16世紀半ば、スレイマン1世の時代まで拡大を続け、最終的にはエジプトからアルジェリアにかけての北アフリカ、シリアやパレスティナなど中東の一部も支配。また陸地のみならず、地中海の東半分をも抑えました。東ローマと同様、ヴェネツィアとも激しく競合しました。, そして帝都「コンスタンティノープル」の名はいつしか、「イスタンブール」と呼ばれるようになります。ギリシャ語で「街へ」という意味らしいですが、これをトルコ人が用いていたというのは興味深いことです。, 一方、東ローマ帝国が滅んでも、中のキリスト教徒までオスマン帝国に滅ぼされたわけではなく、彼らは帝国の支配を受けつつ、商業などで活躍しました。東ローマ帝国がギリシャ語を主に使っていたことから、その住民の多くはギリシャ人として扱われました。, ギリシャ人の多くは東方正教徒で、カトリックではないにしろキリスト教徒。ゆえに西ヨーロッパとの交易はトルコ人やアラブ人よりも積極的に行っていた傾向がありました。このため、ヨーロッパの近代的な思想(自由主義や民族主義)も早く受け入れるようになります。こうした背景もあってギリシャは、1830年、バルカン半島の中ではいち早く、オスマン帝国からの独立を達成しました。, この19世紀頃には、かつてオスマン帝国を支えていた統治体制が緩み、スルタンや中央政府の力も地方に及ばなくなっていきました。しかも、ロシアを始めとするヨーロッパには戦争で敗北を重ね、19世紀を通じてバルカン半島の国々は次々と独立。一方の北アフリカはヨーロッパ諸国の植民地となり、オスマン帝国はその領土を縮小していきました。, こりゃいかん!と、イスタンブールの政府も西洋の軍隊を導入したり、鉄道を建設したり、憲法を制定したりと近代的な改革を行うようになりますが、いずれも保守的な反対派を抑えることはできず、不十分な結果に。, 1908年、ヨーロッパの思想を勉強した、「青年トルコ」と呼ばれる人々が反乱を起こして、当時独裁を行っていたスルタンのアブドゥルハミト2世に憲法を認めさせる、青年トルコ革命が起こります。結局は市民による「下からの改革」が実を結んだ形となりました。, ところが、この直後の1914年、空前の災厄が世界を覆います。第一次世界大戦です。オスマン帝国はこの戦争で、鉄道建設などで仲良くなったドイツ帝国と手を結びましたが、この結果、英仏露を敵に回し、1918年敗北を喫しました。, 第一次世界大戦の敗北は、オスマン帝国への最後の一撃となります。1919年、敗戦の混乱に乗じてギリシャ軍がアナトリアに侵攻しました。, 実はギリシャ独立後も、トルコとの国境が何度も修正され、ギリシャは領土を拡大し続けていたのですが、今回もその一環といえる事態でした。なにせ元は一つだった国。イスタンブールを始め、オスマン帝国内にはまだまだ多くのギリシャ人が暮らしていたので、「ギリシャ人居住地はギリシャ領であるべし!」という主張がなされたのです。, しかし、もちろんそこにはトルコ人も多く暮らしていたので、「トルコ人居住地はトルコ領であるべし!」という主張と衝突。こうして希土戦争が起こります(希=ギリシャ、土=トルコ), この戦争で侵入したギリシャ軍を押し戻したのが、ムスタファ・ケマルという人物でした。1922年にギリシャ軍を最終的に撃退し、アナトリア地方の防衛に成功した彼は、トルコ人の英雄となります。そしてこのケマルが本拠を置いた地が、アンカラでした。, 希土戦争のさなか、イスタンブールのスルタンは、第一次世界大戦の戦後処理として、セーヴル条約を結びますが、ケマルは失うものが多すぎると、この条約に反対。もはやスルタン中心の政府では国が持たないと、対決姿勢を鮮明にします。, 1922年、ケマルはセーヴル条約を修正したローザンヌ条約を結んで、トルコの領地を幾ばくか回復。もはや彼こそがトルコの事実上の代表となっていました。この行いにイスタンブールのスルタン側は反発しましたが、もはや力の差は歴然でした。同年、ケマルはスルタンの廃止を宣言し、ここにオスマン帝国は最期を迎えました。トルコ共和国の誕生です。, こうして、ケマルは新生トルコの大統領となり、首都もスルタン派の多いイスタンブールから、彼の本拠地アンカラに遷りました。アンカラの新政府は、イスラム的な法律やそれまで文章に用いていたアラビア文字を廃止。宗教色を排した法律やアルファベット表記に置き替えました。文字を変えれば、子孫は今までの書物を原文で読めなくなる。こうすることで、過去の社会に戻ることを防ごうとしたのです。, 今までにない徹底的な社会改革の結果、トルコは現在に至るまでイスラム系の国でもかなり宗教色の薄い国となっています。(ワインを始め、アルコールも普通に飲まれます。)数々の功績から、現在彼は、ケマル・アタテュルクという敬称で呼ばれています。アタテュルクとは「トルコの父」という意味です。, こうしてイスタンブールは、首都の地をアンカラに奪われてしまいました。しかし、交易の十字路、ヨーロッパとアジアの接点という立場は今も変わらず、現在に至るまでトルコ最大の人口を誇る大都市であり続けています。郊外を含めた都市圏の人口は、アンカラが約500万人なのに対し、イスタンブールは約1400万人(東京都全体の人口に匹敵)にもなっています。, さて、前述のように、近年は中東とヨーロッパとの関係が(良くも悪くも)何かと注目を集めるようになっていますが、その仲介役として、トルコという国自身の存在も大きくなっています。経済成長も順調なため、現在のエルドアン大統領は長期政権を維持しています。, ところが、隣国ギリシャとは、キプロス問題などをめぐって関係は必ずしも良くありません。キプロスはトルコの南に浮かぶ島国ですが、1974年クーデター事件が起きて以来、国がギリシャ系住民とトルコ系住民によって分断されています。ギリシャ、トルコともに、自国民と同じ住民を、相手国が脅かしているとして、対立が続いているのです。(この問題についても、いずれ記事を起こしたいと思っています), こうした背景もあってか、ギリシャではイスタンブールのことを未だに「コンスタンティノープル」と呼んでいるのだとか。互いの歴史が長く、一方が他方を支配していた過去もある両国ですが、歴史が対立ではなく、相互理解のために用いられることを願うばかりです。.